北海道税理士会

第487号 北海道税理士会報 [札幌建築鑑賞会]
2011年(平成23年)4月30日発行
北海道の古き建物たち No.82

(旧)岡川薬局


 現在の南小樽駅は、明治13年「開運町駅」として開業し、明治33年からは小樽駅と呼ばれていた。大正9年、現小樽駅(それまでは「中央小樽駅」)に名称が移ってから現在の駅名となった。すなわち小樽市街が最初に発展したのは南小樽周辺という事になる。岡川薬局は昭和5年にこの市街地に完成した。小樽初の調剤薬局だったという。付近を見ると、田中酒造の亀甲蔵(旧岡崎倉庫/明治38年)、土蔵造りの作左部商店蔵(明治初頭)、オタルナイ役所跡(慶応2年)などが点在しており、山側は奥沢十字街から南に商店街が続く。ために全国で三番目に完成した線路を挟んで、この地域が小樽の中でも古い一帯だと分かる。

 薬局としては四代を数え平成17年に営業を終えた。取り壊しも議論されたが21年から現オーナーが買い取りカフェやレンタルスペース、宿泊施設として生まれ変わった。1階の薬局だった店内はカフェになっているが、かつての調剤室が厨房として仕切られている。また、中二階も存在するが、これも薬の在庫が置かれていた場所を広げて客席にしたとのこと。なるべくオリジナルが生かされた形で改装されている。天井にはメダリオン(漆喰で作られた装飾)が施されている。

 店の運営も昼、夜、深夜で店主が変わる出店制というのが面白い。基本的に三ヶ月ごとの契約更新だというので、時間帯や期間によって違ったメニューが楽しめるかもしれない。伺った時はカレーの店になっていた。

 取材当日は住み込み管理人の松本氏に館内を案内していただいた。店の奥、建物真裏には石蔵が付いているが前オーナー氏が以前改装して天窓を付けたため、中庭のように明るい空間が出来ている。急な階段を上がると、二階というより実質三階あたりの高さに和室の客間が三部屋あり、更にその上のドーマー窓の部分が最上階である。画面では屋根裏部屋のように見えるが、登ってみると天井の高さも充分ある。なにより実質4〜5階という高さからの眺めが良い。ここは普段は解放しておらず、かつての用途も分からないが特別に眺望を得るための唯一この階に作られた部屋だったのだろう。尚、屋根は寄せ棟腰折れのマンサード屋根である。

 ゲストハウスとして使う場合は相部屋一泊4,800円。カフェやレストランの他に各種イベントも多数企画されており、古い建物と地域に新しい風を呼び込む発信源として生まれ変わったようだ。

【小樽市若松町1丁目7-7】
絵と文・椎名次郎

第486号 北海道税理士会報 [札幌建築鑑賞会]
2011年(平成23年)3月15日発行
北海道の古き建物たち No.81

道立文書館別館


 春泥に踏まれる札幌で、北一条通を歩いた。大通公園より北側の街区は公官庁街として発展したため今でも堅いイメージの街だが、その中でも歴史ある巨大な建物でありながらあまり顧みられないのがこの道立文書館別館である。

 この建物は大正13年、摂政として札幌を訪れた裕仁親王より、北海道の教育振興のためにと賜った御内帑金を元に北海道庁立図書館として建てられた。完成は大正15年。その当時流行したセセッションという特徴的な幾何学模様をあしらった建築様式で、すぐ傍らを歩き見上げるとジャイアントオーダーと呼ばれる巨大な柱が聳え、まるでここだけ西洋の街角のように思わせる。角地を上手く利用した角塔もカッコいい。なお、この塔だけが3階建てである(半地下も存在する)。近寄ると4〜5建てもありそうな高さだが、それがこの時代の西洋建築の威厳というか年季というものだろう。

 玄関前の「さっぽろ・ふるさと文化百選」のプレートによると、設計者は後に北大理学部を手掛けた萩原惇正ら道庁建築課の技師たち。昭和42年まで図書館として利用されたが、資料の蓄積や書籍の寄贈などで手狭になり、その機能は現在の道立図書館(江別)に移った。その後は道立美術館分館(三岸好太郎記念室)として使われたが、昭和52年に三岸好太郎美術館が開館してからは北海道立文書館分館として現在に至っている。市民が資料を閲覧できるのはこの近くの赤れんが庁舎の本館で、現在本物件は原則入館不可である。

 大きな通りに面していながら印象に残らないのはこの閉鎖性による。要は物置き場として使われているのだが、それではあまりに勿体ない物件である一方、建築の経緯と価値を考えると道もおいそれと取り壊せずにきたのだろう。さっさと掃除して市民に開放し、学ぶ場を増やした方が今より役に立つ。廊下などはギャラリーにすれば赤れんがを巡る観光コースにもちょうどいい。優れた学者であった先帝もお喜びになるのではなかろうか。

【札幌市中央区北1条西5丁目1-2】
絵と文・椎名 次郎

第485号 北海道税理士会報 [札幌建築鑑賞会]
2011年(平成23年)2月15日発行
北海道の古き建物たち No.80

定山渓グランドホテル 福寿苑


 北海道で戦前の田上義也ほど世に知られた建築家はいないだろう。一方で戦後の田上作品はあまり注目されないものが多い。狸小路1~6丁目の全天候型の屋根や、教育文化会館、北海道銀行本店など、札幌市民なら日常的に目にするものも田上建築だと知ってたまに驚く事がある。師のフランク・ロイド・ライトの意匠を受け継いだ戦前のデザインと、合理化とモダニズムがより進みすぎた戦後ではあまりに違いがあるためだろう。

 定山渓にも「知られざる」田上建築があると聞き及び、宿泊の機会に恵まれた。グランドホテル福寿苑は昭和46年築。外観は挿絵の通りで、当然ながら小熊邸や坂牛邸の要素は感じられない。ただ、垂直のラインを強調したり、宿泊階から上の階が外に張り出すようなデザインは、田上テイストを感じなくもない。

 昭和46年といえば翌年に冬期オリンピックを控え、中心部では地下鉄の開業及び市電各線の廃止、三越デパートの改装、4丁目プラザの開業など、札幌の街のグランドデザインが大きく変わっていった年である。定山渓でも多くの宿泊を見込んでホテル建設ラッシュがあったのだろう。

 ホテルの入口には階段を上がって実質の二階から入館する。ロビーは石造りを模した太い柱や梁が渡っており、なかなか堂々とした空間だった。建物自体が傾斜地に建てられているので高低差を利用した中二階もある。

 田上作品の特徴か、各階のエレベーターホールや階段の天井には、どうにも理解できない傾斜やジグザグした造作が施されており、面白くもあり珍品でもある。各部屋と廊下に壷庭というのか砂利を敷いた小さな石庭が必ずあり、これも外国人観光客受けを狙ったものかもしれない。また、昭和40年代は全国的にラブホテルが作られ始め、きらびやかな装飾やビビットな色合いが流行した時代でもあるので、階段室に忽然と塗られたピンク色や、黄金色のタイルが貼られたゴールド風呂やエメラルド風呂もその辺りに源泉があるのだろうか。ところで源泉と言えばここの温泉は循環ではなく掛け流しなのが素晴しい。定山渓では珍しいことだろう。露天風呂には入らなかったが脱衣所まで外にあって野趣溢れる。

 これが名建築と言われるにはあと20年程度の時代の咀嚼が必要かもしれないが、戦後の田上建築の変遷を見る思いがした。

【定山渓温泉西4丁目360】
絵と文・椎名 次郎